先週、青蓮院の青不動の話に飛びましたので、一週置いて拙著7作目より収録外原稿より つづき2022年11月30日
先週、青蓮院の青不動の話に飛びましたので、一週置いて拙著7作目より収録外原稿より つづき
小学校受験を始める前に大事なこと→良き師を選ぶ(幼稚園・保育園・受験教室)
5 親への指導があること
子育てや教育のことでなにか困った時に、先生に相談ができること。
子どもへの授業をするだけで親へのフィードバックがなく質問も受けない、でいいのは大学受験予備校です(最近は親への指導を大学受験予備校ですらするようですから、それをしない幼児教室があるなら職務怠慢です)。幼稚園も幼児教室もそういう場ではありません。もちろん親も、先生への問いかけは、時と場合をわきまえることは必須ですが。
先生の権威を絶対のものとするのは前時代的ですが、あきらかに専門分野での経験や知識を多く持つ人、つまり先生の指導は、一応胸に収めた方がいいです。先生のアドバイスに反発する親は伸びません、わが子も。
良き師と出会い、正しい学び方をすれば「型」が身についてきます。茶道でも、剣道でも、空手でも、水泳でも、学びが進んで身についた型は本物です。
受験においての型は「毎日の生活」です。くれぐれもペーパーだけやる、なんてダメですよ。1に運動、2にお手伝い。3からが受験準備です。
そして、学校のことを研究し、よく知るようになってくると、わが子の将来や進路の幅を広げる可能性が小学校での学びで大きく高まることがわかってくるでしょう。わが子の可能性を大きくする。ただし親自身も準備を進めるうちに成長するので、その度に動機は上書きしてスキルアップする。毎日の生活そのものなので、夫婦仲が良いと結果も良い。夫婦でよく話し合うことが大事。
6「良き友」に学べること
これは小学校生活、中学校生活でも全く同じです。幼児も年長クラスになると、精神面で成長が目覚ましく、周りの子たちを牽引していく子が現れます。
具体的には、指示運動の時、順番が一人進むたびに自分の順位を繰り上げることに気づく子。態度面でお兄さんっぽい子。和を持って友だちに声がけができる子、など。
すると気づきの早い子が同い年の子の中に「かっこよさ」を見出して真似るようになるのです。
年長になると明らかに、先生に教えられるよりも同い年の子に教えられる機会の方が多くなります。
ですから私は、「近所の公園で年長児を無作為に20人集めて教室に連れてきて行動観察の指導をしても、絶対に授業になりません」と申しております。なぜなら普段の生活で、しつけやケジメやめりはりを教えられていない子が数人混じっていたら、その数人に子どもは引っ張られて先生の指示を聞くことができなくなるからです。
では親によるしつけが子になされていなかったなら、その子たちが小学校に上がって(多くの場合、入試による選別をされていない学校です)クラスの授業は成り立たないか? よほどの指導力があれば、運営できるでしょう。しかしそれを先生の指導力として責任を押しつけることは、私は無理だと思います。
これは事情を知らない人からは反論が出そうですが、私は小学校で子どもたちの指導をしていた経験から断言できることがあります。それは、子どもに適切なしつけをせず、ケジメやめりはりをつけて学校生活を送ることに不賛同な親の子は、現状以上の将来を実現することは難しいと思います。
それは経済的な裕福さのことばかりではないのです。その点を含むことも往々にしてありますが、仮に経済的に裕福であっても、行動規範に「?」を持たれる親の家庭に育つと、子どもが悪くなるのはほぼ当然の結果です。
なぜなら、何をもって幸せとするか? 幸せのベクトルの方向性がどういう方向を向いているか? 幸せの座標軸がどこを0として構成しているか? その基軸が逸脱しているからです。ですからね、四の五の言わずに、親はお師匠さんの話を肚に納めて聞くことですよ。2回連続おわり