NY自己防衛事情②2023年6月28日
NY自己防衛事情②
NY現地の人に聞いてみると、コロナ禍以前より格段に町の治安が悪くなっているということです。はるか昔と比べて私が体感した範囲で言っても、1970年代後半より1980年代に入ってからの方が治安は良くなったように思いますが、時代や経済を反映して犯罪率は上下するものなのでしょう。
少し前ですが私が4年前にNYに訪れた時と同様、街中で見かける物乞いを見かけることはありました。それでも今回は街中で、写真でしか見たことのなかった、ハンセン氏病の重度の後遺症を患う人や、30代で外見的にも服装にも健康にも問題がありそうにない物乞いをする白人の女性を目撃しました。
「助けて、仕事もないしお金も住むところもないの」というボール紙に書いた立て札を前に、足を投げ出して座り込む若い女性の姿に、一体どんな事情があるのか思いをはせずにいられませんでした。これが一歩進むと犯罪になりかねない状況は私にも理解できます。
さて、貧困の事情は理解するとしても、降りかかる犯罪からは身を守らなければいけません。防犯、護身の術です。どうやって身につけるか?
私は10代の半ば、身体が細かったものですから、それに仲間と徒党を組むという事がなく、一人で行動することが多かったので、物騒な目にも実際に遭ったことが幾たびかありました。つまり多人数の外敵に不用意に襲われる、ということですね。
まぁ私、若い頃は顔が生意気で態度もデカかったですから、自ら招いていた節もありますが。母にも、「男は死んでもケンカに負けて帰ってくるんじゃない」と言われておりましたし(母はキリスト教の教えのある学校に学んだはずだったのですが、十字軍の師団長に教えを受けたのでしょうかね?)。
しかしですね、普通に歩いているだけでトラブルに巻き込まれるというのも厄介ですので、事前に他人にナメられないようにするにはどうしたらいいか、について思索と演習と鍛錬を重ねた時期があります。そんな暇があるなら受験勉強しろ、ってところですけれどね。
いずれにしても体を作ることは生き抜く上で大事なことだと思います。私は努力の結果、世界中どこを歩いても、むやみに他人からケンカを吹っ掛けられるということはなくなりました。腕力を使う必要がないというのは最大の防衛です。
「攻撃したらやり返すぞ、こっちは結構手ごわいぞ」と、顔つきや見た目からしてわかることが大事。腕力に自信があったとしても、一人でボケっとして歩いていたりしたら危ないですけれどね。外敵は必ず複数人の武力です。そしてこちらが予測していない時を的確に突いて攻撃してきますから。
脱線しますが、我が国の憲法九条は憲法窮状ではないでしょうね。平和平和と口ずさむだけなら、それはお経をあげるだけと同じです。平和ボケしていたら、気づくと母国が蹂躙されていた、なんてことになりかねないですよ。