もう10年以上も前の話ですが、「先生に怒られたからやめます。私は親にも叱られたことがないのに」というお母さまがいらっしゃいました。2023年7月12日
もう10年以上も前の話ですが、「先生に怒られたからやめます。私は親にも叱られたことがないのに」というお母さまがいらっしゃいました。ご不快だったのですね。そこは理解しました。でも、わが子の教育について私は誠心誠意指導したのですが、心残りです。
師に学ぶ、ということは自分の型を壊すことから始まります。ですから時として居心地の悪さや、怖さや、痛みを伴うものです。今まで安住していた自分の型を壊し、新たに進化した型をまとうために脱皮するわけですから。
ラクして成長して羽化したい(合格したい)なんてムシの良いことを考えたら、アゲハチョウにも笑われますよ。
その時の状況は、ミーティングルームで面談中に、2歳児でギャングエイジの活発なお嬢さんが、テーブルの上に綺麗に飾られたプリザーブドフラワーを、熱心にむしゃむしゃとむしっていた、というものです。
なにも気に留めず自分の話だけをし、わが子の蛮行をとがめない母親に、私は「大事なお花ですから、声をかけてください」とわが子を制止するように促しました。それでもお母さまは何を言われているのか理解できません。「お嬢さんがお花を傷つけています。止めてください」と言われて、はっと気づいたのですが、注意の仕方に私は不満を覚えました。
娘に向かって、「ほら、先生に怒られるからやめようね」って、なんですかそれ。
そもそもその面談は、「3年保育の名門女子校の付属幼稚園に合格するために、あと3か月で何をしたらいいか?」という相談だったのです。ここですよ、ここ、ということです。
客観的に聞くとよく理解できるし、あきれるでしょ? でもそういう場面って、ものすごく多いですよ。話を聞いて自分の立場に落とし込んで再考できる親は賢い親です。でも立派な学歴、経歴の人でも、まだ本当の父親、母親に成長できていないのは珍しいことではないです。それはわが子を、「人になる前の子を、きちんとした人に育てるために天から預かった」という覚悟を持って育てていない、ということかもしれませんね。
厳しい言い方をするならば、親自身がまだ子を育てる人に育っていないのかもしれません。でも、それはなぜ? 大学受験ならば赤本で過去問に解答が出ていますし、予備校でベテラン講師が指導してくれます。しかし子育てにおいて最も重要な役割を果たすべき母の実母、または義母が、現代ではその役を担っていないからです。もしかすると母の母、または義母も戦後のベビーブーマー世代の母親から、自由と責任はワンセットだと教えられていないことに原因の一端があるかもしれません。
かく言う私も、だいぶ年は取っておりますが、今からでも、少しでも成長したいと願い努力を重ねる者です。進捗が鈍いのですが、いつも一緒に考えています。
前述のママは、わが子が3年保育の名門女子校幼稚園に合格するためには、子育てについて、多くのことを考え直す必要があると思いますし、母親自身が育ち直さないと難しいと思います。
耳の痛い話って、すべて不快な話です。それを聞いて直せるかどうか、だけの話です。人生の真実って身も蓋もないことが多いです。
親も子も、素直に先生からのアドバイスを受け入れて、改善するところからがスタートラインですね。
そしてそこに感謝がないと、つまり先生や周りの人への感謝が足りないと神さまが振り向いてくれません。それがないと志望校に合格できません。
そういう大事なことに気づきもしなかったけれど合格できた、という人も世に多いと思いますが、わが子の成長過程のどこかで、しっぺ返しが来る、というものですよ。中学、高校に上がってから付属校を「放っぽり」になった、とかね。早く気付いた方が傷はずーーーっと浅いです。なにより一番かわいそうなのはわが子ですよ。そこに気づいてほしいですね。
自我が芽生えて行動が徐々に活発になるギャングエイジの生態は私もよく存じております。この時期の子育てに失敗してわが子のご機嫌を損ねないように母親が言いなりになっていると後で取り返しのつかない状態になります。わが子がわがままを抑えられなくなるのですね。つづく