いやー、なんとこの時期にインフルエンザなどを罹患して、特に年長さんのご父母にはご心配をおかけしました。2023年10月4日
いやー、なんとこの時期にインフルエンザなどを罹患して、特に年長さんのご父母にはご心配をおかけしました。ご心配というのは、私の身体を気づかってでは、もちろんありませんよ。「ウチの願書は書けるのか」というご心配ですね。
はい、わかっていますとも。みなさまの、「死んでもいいから書け」という魂の叫びはちゃんと伝わりましたよ。それが証拠に、9月末が期限の願書はすべて加筆訂正添削して27日に届けたではないですか。その間、私の頭の上では黒装束の悪魔が、代わる代わるつるはしを脳に振り下ろしておりましたがね。
9月26日という日は魔界への扉が開く日なのか? 私はそう感じてしまいますよ。この近辺の日々は慶応会理事長にとってどのようなものであるか? そうです願書の添削に明け暮れる、それも大詰めを迎える時です。
思えば3年前の9月26日、あと5日で願書終了だ、という少しだけ胸元に弛緩を覚えるような日でした。
忘れもしません。早生まれのお嬢さんの慶應幼稚舎の願書の時でした。その子はとても利発で活発で、しかも早生まれということもあり、幼稚舎に適性が高いと期待してお迎えした子でした。準備を積み重ねていよいよ本番の願書添削となり、お母さまが書き上げた幼稚舎の願書に目を通して、私はイスから転げ落ちそうになりました。そこには、「福沢諭吉が大事とする獣身を成して後に人心を成す、の言葉通り、最近の娘はマンションの4階にある自宅へ帰る時、エレベーターを使うことなく階段を上っております」といった内容が書かれていたのです。……
思い返せば、お母さまは仕事を持つ傍ら、毎月模擬試験の時に私が行う父母講座に出席なさり、まっすぐに私を見てお話を聞いてくださっていました。メモも取らずに。
そのエピソードを読んで、私はしまった!と強く思いました。私は願書を書く際の「肝」を詳細に伝えていたつもりなのですが、それは一部のお母さまにとっては、一方的に私が発信する電波に過ぎなかったのですね。つまり受けとめるアンテナの感度の確認を怠っていたことに気づいたのです。
それともうひとつ、やはりアウトプットの内容を確認することを私は怠っていました。私の責任です。「話を聞くだけじゃダメ、自分で書く練習をしないと」なんです。
さあ、反省を活かして改善するのは次年度以降の課題として、その日の日付を考え、今はもう私が全文を書き直すしかなかったのです。私は目の前のファミリーの家庭のようすをつぶさに思い出し、天から降ってきた景色をそのまま猛然と勢いのままに文章に落とし込み、全文を一気呵成に書き上げ、「はいっ!この通り清書して提出してください」とお母さまに、訂正で真っ赤になった願書をお渡ししたわけです。その直後、「ぶっ」と鼻血が噴出した、のでした。やれやれ、鼻血は断続的に3日間続きました。
その年以降、願書の添削時期を早めました。回数も増やしました。おかげさまで今年のご父母がお書きになった願書は力作ぞろいです。昨年よりもさらにご家庭の力が上がっています。
私はふたつとして同じ家庭はない、お預かりした目の前のご家庭のために、ファミリーのようすを入念に聴き取っております。書面でも出していただいております。ですから私は志望校ごとに、家庭と学校とをつなぐエピソードを紡ぎ出すことができます。したがってファミリーの代わりに願書は書けます。
しかしそれでは作家の贋作ですからね。私はどうしても、ご父母に成長してご自身で願書を書き上げて、その思いを学校に伝えるお手伝いに留まりたいのです。だって、自分の実力で合格したいでしょ? そうでなけりゃ、最初から縁故があって合格が近いファミリーと変わらないじゃないですか。
私は家庭の実力一本で、幼稚舎や早実に合格することを目指しているんです。福澤先生も「門閥制度は親の仇でござる」とおっしゃっているではないですか。だれですか? 幼稚舎こそ門閥の牙城ではないか、などと貶めようとする人は。