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多様性に配慮しすぎ、な2020年代について。2023年11月29日

 多様性に配慮しすぎ、な2020年代について。
 最高裁大法廷が10月25日に、今後の日本社会が、日本人の文化的血筋には馴染まない、その奥ゆかしさと伝統を失いかねない極めて理不尽な判決を出しました。それは、性同一性障害の人が戸籍上の性別を変更する際に手術を必要とするのは違憲であり無効だ、という決定です。ろくに社会的な議論もなく拙速に、たった15人の社会的平衡性欠如の判事により(国民に衝撃を与えるほどの不安を抱かせる判事への非難を、誹謗中傷として断罪する意見が出るとしたら、それは遠藤周作がかつて使った「悪魔ならぬ善魔」な人によりなされるものでしょう)。

 戸籍は男性だけれど心は女性であり、普段は女性の外見で生活しているが、恋愛対象は女性である、という人もいるそうです。よくわかりませんよねぇ。決して揶揄するわけではありませんが、トランスジェンダーであり、かつレズビアンだそうです(私、そちら方面に理解はありますが詳しくないので間違えていたらごめんなさい)。
 私とてLGBTのうち、Lはわかります、Gもわかります。私の母はオートクチュールのデザイナーでサロンを経営しておりましたので、映画関係者、舞台関係者、監督、脚本家、女優などが頻繁にサロンに訪れ、私もよく話の輪の中に入っておりました。ニヒルな表情で男の哀愁を漂わせるさる高名な方が、うちのサロンの扉を開けた途端、私の母を「ママぁ♡」と呼び変身する(変心?)する姿にも身近に接して育ちましたので、おかげさまで私にはLG系のみなさんにはまったく違和感を持ちません。
 後年、1970年代後半からBという概念が知られ始め、Tというのは2000年を超えるぐらいから認知され始めてきたでしょうか? そこへまたQが出てきて(Qとはかつて、映画007で新兵器を開発する老英国紳士の職名でもあるのですが、近年の007のQはGなんですよ。これも多方面に配慮しすぎだと思うのですが、後述します)混迷の様相を呈しております。
 普通に暮らす市井の民にとって、それらの分野に詳細な知識と認知を必要とするものではないはずのことなのですが、知らずに不用意な発言をすると炎上を起こすという昨今の狭量な世の中においては、現代用語の基礎知識としてある程度の理解はしておいた方がいいのかもしれません。しんどいですね。

 しかしながらですよ、最高裁の判決、何ですかあれ。外見で判断する以外に、どう対処すればいいのか? そちらを先に線引きしてから決定する方がよかったのではないの?と素人が素朴につぶやいてみます。ところが前提となるはずの性別も、そもそも性別で判別する方がおかしい、と声高に言う人もいます。とうとう市販の履歴書には性別欄がないものも出ました。
 性別がないって、我われは特殊な虫か?アメーバか? どうも社会がおかしい。配慮すべきことの本質って何? 個人の自由を尊重することと、それぞれの人が独自に持つ価値判断に齟齬をきたす個人の自由はどこまで社会的に許容されるべき? そっちですよ。履歴書の性別のことなど、性別に続く欄に性自認の欄を設ければいいだけでしょうに。必要性があるならば。
 私は自らの思想は自由だと思います。できれば人に迷惑をかけない限り、と追加しますが。ところがこういう事を言うとまた、インドでは子どもに、「人から受ける迷惑を許してあげなさい、あなただって人に迷惑をかけているのだから」と教えるのだ、と叱りに来る人が現れます、厄介です。

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