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理事長通信

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 最近のXへの投稿です。若いお母さんが美術館で作品を鑑賞中のことでした。2023年12月6日

 最近のXへの投稿です。若いお母さんが美術館で作品を鑑賞中のことでした。1歳半になる子が少し騒ぎ、そばにいた中年男性に「迷惑です」と言われた、といった内容です。これにはさまざまな意見が交わされていると聞きました。

 私は、これは意図的な投稿であるな、と感じました。弱者擁護への世論誘導ですね。私はこのように取り巻く人々を「被害者意識友の会の方」と揶揄しております。
 今時はベビーカーも邪魔扱いされ、子ども連れというだけでいろいろと文句を言われる、だから弱者を保護する世論を形成しなければならない。それが正義である。そもそもそこが改善されない限り少子化の改善は見込めないではないか。などなど、風が吹けば桶屋が儲かる的な理論構成にも辟易するところです。

 美術館で作品を鑑賞するのは静かな環境で、という前提があると思います。中年男性が迷惑ですと一歳半の乳幼児のお母さんに伝えたということですが、これ、果たしてどちらが弱者でしょうか? そもそも赤ちゃんはミルクが欲しくてぐずったのでしょうか? それとも飽きてギャン泣きした赤ちゃんをそっちのけの状態でママが美術鑑賞していたのでしょうか?

 私は常に考えています。赤ちゃんや幼児が泣いたり騒いだりするのは当たり前です。そんなことは誰だって知っているし、通常の社会性を育んだ人ならば、大人でなくても小学生でも、泣き声のする赤ちゃんや騒ぐ幼児には寛容なものです。
 問題は「程度」です。私が客観的に社会を観察する時にかねがね思うのは、ずばり人と人との「距離」です。東京生まれ東京育ちの人にとっては日常ですが、非常に密に人間が密集する環境では、隣りにいる人との距離がほぼ確保されないということがしばしばあります(私は人間関係のストレスの多さは人の多すぎからしばしば起きると考えていますので、東京の人口が相当数減れば、人同士が起こすトラブルの多くは減ると思います)。
 山手線の座席に座り、すぐ耳元に抱きかかえた赤ちゃんがいたとして、赤ちゃんが泣き始めたらば、「おや元気だな」ぐらいには思うでしょう。でも、赤ちゃんが泣き止む様子がないと、やれやれと思うでしょう。しかししばらく経っても泣き止まず、いやそれ以上に母親が赤ちゃんを泣き止むようにあやすなどの行為がなく、なんら親としての努力をしていないようであれば、平静な感情ではいられなくなるのがふつうであるかもしれません。でも、配慮が足りないと推察される母と赤ちゃんが、3メートル離れていれば、こちらも感情を波立たせることはないと思います。
 究極にひっ迫した状況で例えるならば飛行機の中でしょうか? 親はわが子を連れてどこに逃げ出すわけにもいきませんしね。それでも親がわが子をいろいろと手を尽くしてあやしたり、泣き止むように奮闘したりする姿を目の当たりにしたら、優しい声の一言もかけてあげたくなるのが人情だと思います。

 弱者側の立場を表明して、不当に虐げられた窮状を訴える人の中には、そもそも本人の配慮や努力が足りない、ということはないですか? などと言って炎上の導火線として引くつもりはないのですが。

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信頼の指導47年 慶応幼稚舎・早実・慶応横浜初等部・小学校受験・中学受験・中等部受験に勝つ!

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