小学校受験においてよく言われることですが、それは「親の受験」と言い換えられるかもしれません。2023年12月26日
小学校受験においてよく言われることですが、それは「親の受験」と言い換えられるかもしれません。ですから受験の結果はすなわち、わが子の誕生以来6年間の親の子育てを、「時には」評価されることになるかもしれません。
時には、という但し書きは、日々の家庭での暮らしを充実させて、じゅうぶんに子育ての成果を上げて、自立への歩みを始めた子のファミリーでさえ不合格となることも時にあるからです。
その場合の原因の多くは、学校とのミスマッチにあるかもしれません。小学校受験は特に父母とわが子の学校との適性が合否を分けますから。ですから決して子育てを否定された、と思わないでください。
合格発表の日、従前は学校構内の掲示板に受験番号が張り出されるという発表が主流でしたが、コロナ禍以降はWeb上で結果を見ることが主流となっています。やはり人の目もありますし、その場で合格したファミリーと合格に至らなかったファミリーとの間で、感情面のせめぎ合いが起きることもあるでしょう。うれしい人は放っておいてもうれしいですけれど、悲しい人には寄り添ってあげることが必要です。
近年主流のWeb発表ですが、私はその表現にはもっと愛があった方がいいのではないかな、と愚考しております。最高学府を頂点に持つ付属小学校など、大学には心理学の専門家を山と揃えているのですから。
受験者の親は合否の発表をパソコンの前で、あるいは握りしめた携帯電話に受験番号を入力し、Enterキーを押すわけです。そして結果は瞬時に表示されます。結果自体はシンプルなものでしょう。しかし問題はその表現ですね。
画面に浮かんだ文字が「合格です」であればバンザイですが、そうでない場合、どうでしょうか?「不合格です」という表現は、あまりに身も蓋もない一言のように、私は長い年月感じている者です。
これは心理学の専門家が学問を結集した、叡智を集めた結果の表現でしょうか? もうちょっと、それこそ人の感情に寄り添った表現がありそうに私は思います。
私が小学校校長であったなら、合格でなかった家庭への通知は以下の通りです。例えば、「この度は○○小学校の入学試験をお受けいただきありがとうございました。試験中、お子様のご様子をつぶさに拝見いたしました。ご家庭の素晴らしい子育ての成果がお子様に反映されているとお見受けいたしました。しかしながら誠に心残りではございますが、今回はお子様とはご縁がなかったと判断させていただきました。これはお子様やご家族を否定したわけでは決してございません。多数のお子様にご応募いただき、我々も苦渋の決断であったことをお汲みいただければ幸甚でございます。今後ご家庭に幸多きことを祈念いたします。○○小学校校長 だれのだれそれ」とかですね、非常に回りくどいながらもちゃんと説明すれば、合格をいただけなかった家族に「心」で寄り添うことができるのではないかな、と愚考します。
2023年が終わろうとしています。読者の皆さまにとってどのような年でしたか? 私は慶応会という小さな企業を預かり経営の舵を取る者です。慶応 会の会員さん、ご父母、OB・OG、そして教職員など、ご縁をいただいた皆さまに幸せが訪れることをいつも願っております。全力を注いで私は仕事をしておりますが、この年齢になっても未だ力及ばず、という事もあったかもしれません。
時代は変わり、新たな潮流も生まれることでしょう。今後も慶応会は、教職員一同で変化を恐れず、変化を捉え、皆さまをサポートさせていただきます。
来る2024年が皆さまにとって従前比最善かつ最高の年となることを祈念して、今年の理事長通信のキーボードを納めたいと思います。