「親がしつけてやらないと、子は自由になれない」というのが今回のテーマです。2024年3月27日
「親がしつけてやらないと、子は自由になれない」というのが今回のテーマです。前回の通信のつづきは後回しです。
「子どもに厳しい時代」というとんでもなく不遜な論陣を張る人が増えています。それはもう、ここ数十年、年年歳歳増え続けている主張です。結論を先に言います。子どもに厳しいのではなく、「子どものまま親になった、『子どものような親』に厳しい時代」なのです。
なんですか、それ? どこのだれか知りませんが、元アイドルか何かの女性が発信した内容がネットで賛否両論の大荒れだということのようです。
原文を読んだわけではないのですが、ママである「私」がどこかのパン屋さんに子どもを連れて買い物に行きました。「私」が目を離したすきに(見ていても注意しなかった?)子どもが売り物として並べてあったサンドウィッチを次々に触った。結果としてお店から、お買い上げくださいとなり、すべて買い取らざるを得なくなった、ということです。それに対し、店の客に対しての対応が「厳しすぎる」というコメントが殺到したというわけです。
この拙文を読んで、同意見と言う人もいるでしょう。「子どものしたことなんだから、大目に見てあげる寛容さがないと、世の中生きにくいよ」という意見でしょうか?
私は、「社会の寛容さ」の置くべき視点が違うのではないかなと愚考します。世間が寛容さを示すという場面は、母親がわが子の愚行をその場で叱っている時に発揮されるべきことです。「まあまあお母さん、そこまで厳しく叱らなくても。お子さんはまだお小さいのだから」という時ですね。寛容です。
私はこう考えます。店が買い取りを客に求めるということは、たぶんサンドウィッチの形がぐちゃぐちゃになるぐらい潰して子どもが遊んだからではないでしょうか? 親は自分の買い物に没頭していて、子どもが売り物のサンドウィッチを触って遊んでいることに気づかなかったのですか? 気づいていても気にならなかったのですか? わが子を叱らなかったのですか? 教えて諭さなかったのですか?
店が品物の買い取りを要求するって、たぶん余程のことでしょう。少なくとも売り物にならない程度の変形をきたすほど子どもがサンドウィッチで遊んだからでしょう(そうでなかったとしても、読者の方は見知らぬ子どもが素手で触ったサンドウィッチを買って食したいと思いますか?)。
私は以前、とあるパン屋さんの店先に「犬を連れてのご入店はお断りします」という掲示を見たことがあります。ワンちゃんが舐めちゃうんでしょうね、売り物のパンを。私もワンは大好きですが、他所の家のワンが舐めたパンを買って食べることは絶対にありません。店としてはパンを廃棄する以外にないでしょう。店の要求はあったりまえのことです。店が百歩譲ったとしても、「しつけができていない犬は 店に連れて入らないでください」でしょうね。
今回の件を若干不当な扱いを受けたかのような記述をSNSに発表して世に信を問う母親というのも、いたずら好きな子どもと同程度の思考と行動規範で生きているということかなと私は思います。
そこに同情のコメント寄せる人も同程度かなと。意見や考えの多様性を容認し合うような内容の話ではないように私は思います。つづく