私は信心深いと言うつもりはないのですが、2024年5月29日
私は信心深いと言うつもりはないのですが、何か大きな存在に常に守られている、という実感を常に持っています。
怪我の多い人生です。向かい傷など数知れず。ギブスを巻いていないのは四肢のうち左足だけです。何度も交通事故に遭いそうな局面で難を逃れています。暴行事件に巻き込まれて頭を木刀でかち割られた高校生でもありました(私は不良だったこともありませんし、やんちゃだった経験も一切ありませんが)。
10年ほど前には不注意で後頭部をコンクリートに打ち付けて強打し、37時間の昏睡を経験しましたが、その時も自室のねぐらに潜り込んで治してしまいました。意識が戻ってから頭部のCTを撮りましたが、「打撲の痕跡もありませんね」という状況です。
医師が所見を書き込むディスプレイを覗き見ると、そこには「所見 異常なし。特記事項、石頭」と(ここだけ盛りました)。
何もなかったわけではないだろう、と思います。だって、そんなに長時間眠れませんよ。でもねぐらで眠って治してしまったのは事実です。私は野生の動物に近い生態をしているのかもしれません。
お陰さまで大病もしたことがありません。私は仕事にも恵まれています。皆さんのお役に立てると実感できる仕事に就いています。
私はツイてるし運が良いんです。そうでなければ私ごとき凡人が、「幼少期の子育て」などという途方もなく大きな人生のテーマについて、人さまに講演をしたり本を出版したりなどということができるわけがありませんので。
私に限らずすべての生きとし生けるものは、相当な運に恵まれてこの世に誕生しています。私という存在は父と母がこの世に誕生したことから始まっています。私の父母が生まれて成長し出会って一緒になれなければ、その成長の過程で何かしら不具合があったなら、私という存在はこの世にいません。
父母の父母は4人います。その父母は8人います。それらすべての人の人生がうまくいったからこそ私がいます。直近の100年ほどでさえそれほどの幸運が積み重ならないと現在の自分はいないのです。
みなさんの存在も全く同じです。あなた以前の何千年、何万年もさかのぼって遺伝子を伝えてくれた先祖がいて、一人も遺伝子を残す前に命を失うことがなかったから、今の自分が生きていてこの世にいるのです。それだけで自分自身がものすごい幸運の塊であると実感できませんか? 私はそのことを昔から自覚しています。
有名な芸人さんが、常に積極的なその生き方を言葉で表現して「生きているだけで丸もうけ」と言い、わが子にもいまると名付けています。
死なない限りかすり傷、とも言っています。本当にその通りですね。病の床にあったとしても、今確かな意識がある限り、周りのすべてに感謝しないとバチが当たるってもんですよ。