前回の通信から今回は脱線します。2024年6月19日
前回の通信から今回は脱線します。
個人主義の良い点は、個人に力がある場合は個人が能力を発揮しやすい点にあるでしょう。その場合は教育の初期の段階から個人の能力を伸ばす社会的かつ教育環境を整える必要があります。
個人主義とは、民主主義、自由主義には欠かせない哲学の根幹を植え付けることが同時にあって初めて実現するものだと私は考えています。
アメリカはこの場で説明する紙幅も惜しいほどの多民族国家です。人種のるつぼとも言われます。アメリカには先住民がいましたが、アメリカ大陸の発見により、世界中の、主として母国ではメインストリームに乗れなかった、しかし意欲のある人々が移民として新天地のアメリカを目指し、ごく短期間で作り上げた国です。
そこには、民族も言語も習慣も、なにもかもが違う人々が集まりました。当初は母国ですでに資産を築いたと同時に才覚のある人が産業を興しました。アフリカから連れて来られた相当な数の奴隷もいました。新興国の時代のアメリカでは、立場が天地ほど違う人々が、アメリカという土地で同じ空気を吸い水を飲み生を繋ぎました(今でも状況は変わりませんが)。
歴史の過程でアメリカ国内にも様々な騒乱がありましたが、今日、アメリカの国籍を持つアメリカ人は、アメリカという国家に忠誠を誓い、家や学校で星条旗を掲げ、国歌を斉唱し、自分たち一人一人がアメリカという国の国民のひとりであるという自覚と誇りを持っています(少なくとも良識を持つ人ならば)。
どれほど個人の持つ思想や哲学が異なろうと、それ以前に自分の出自となる国や言語や文化が異なろうと、アメリカ人は自分の国家に忠誠を誓い、自分がアメリカ人であることに対し、揺るぎない魂の核があることを自覚しています。ですからアメリカ人に元々の出身国はどこか、と尋ねるのは(こちらは単なる興味として聞いても)無礼なことのようです。アメリカ人は、昔は何人であれ今はアメリカ人なのです。
私は個人主義に絶対に欠かせないものは、母国を愛するという心の核だと確信しています。多くの日本人は戦後教育の敗北により、母国日本を敬う気持ちが決定的に欠けています。
白洲次郎は、「日本は戦争には負けたが奴隷になったわけではない」と戦勝国の占領に屈することなくGHQを相手に渡り合った日本人です。そこには世界のどの国の人も持たなければならない母国への愛の矜持があります。
個人主義を尊重するためには、何人(なんぴと)たりとも国に属する国民ですから、母国の国旗の下に集い、国歌を歌い、日本人は日本人として長い歴史と文化に裏打ちされた国民性を誇りに思い、日本人としての哲学を世界に発信すること、です。その上での個人の主張です。国を憂いて亡国論を唱える者も、個人の自由は保障されるべきですが、そんなにイヤなら亡命したら、と思います(そこまで気骨ある論客は日本にはいないと思うので)。
戦後の左翼教育や共産主義や、日本国の誇りを貶めるような歴史を歪曲し、ありもしなかったことをさも現場で目撃してきたかのように語る左翼かぶれの論客や政治家などにより、戦後教育を受けた多くの若者が日本国の誇りを錯誤する事態となって久しいです。私は本当に悔しい思いをしております。私は中立であることを望んでいますし右傾化しているわけではございませんが。つづく