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人生とは、自分の能力をどこまで伸ばせるのか、2024年9月11日

 人生とは、自分の能力をどこまで伸ばせるのか、そしてその努力の積み重ねの末に、何かをつかむことに価値を見出すことでしょうか? 
 そもそも努力は何のためにするのか、どこかに到達点はあるのか、向かうべき目的地は誰によって決められたものなのか、それが自分で決めた目標や目的地なのか? そうではないがために、人は迷いや疑問を持ち、前進できないのではないのか? 自分を突き動かすはずの動力がないとは、自分が信じられる価値観を形成できていないということではないか? 人生で起きる迷いはそこに問題があるのではないか? といろいろ考えこんで、自分でややこしくこじらせるのが人生のような気もします。

 私にはとうの昔に過ぎたことですが、いろいろと思い悩むのが思春期であるかもしれません。人の価値観というのは様々であり、人それぞれです。
 最近大流行りの多様性ですが、そんなもの昔から思慮深い人はみな心に秘めていたものです。今さら大仰に多様性の大事さを意識して発言の内容に必 要以上の配慮をしながら発言せざるを得なくなったのは、単に社会から寛容さが失われているせいです。
 人の心から寛容さが失われたわけでなく、匿名で姿の見えない個人が異次元空間から発するマイナスの波動のせいで、あくまで社会がもつ天秤のバランスが均衡を失っているだけだと思います。

 私は最近思うようになったのですが、達観とか悟りとか、一種到達した境地の居心地というのは、もしかしたら自己愛の完結した状態を意味するのかな、と思い始めています。他人のことが気にならない境地ですね。全くの見当違いかもしれませんが。

 かなり昔の漫画家の赤塚不二夫という人が、今でも時おり天才に思えるのは、劇中の登場人物の台詞からです。天才バカボンのパパは「これでいいのだ」とよくつぶやきます。そう、何事も結果を受け入れ、これでいいのだと。これまさに達観の境地ではないでしょうか。

 私は友人や知人に何人かアスリートがいます。肉体的ピークを過ぎても自分自身に求める目標があり、競技や演技をし続け、そのための鍛錬を怠らない人です。オリンピアンたちの肉体を見ても、ある種の競技に特化して鍛え上げた肉体は筋肉美を誇っています。その競技に必要とされる部位の筋肉は必要があるから発達を遂げています。つまり目的ある筋肉なのです。

 和田アキ子さんがオリンピックやり投げで金メダルを獲った北口榛花さんに、悪意はなかったにもかかわらず発した一言で大炎上し、とどでは済まない事態になりました。しかし、翌週真摯な面持ちで謝罪し、対応が投げやりでなかったことで事態は収束したようです。
 私はこの件で、針小棒大という四字熟語を思い出しました。そんなに事を大きくするもんじゃないよ、と思いますが、身体や外見に対するルッキズムや差別はいけませんね。
 名人と呼ばれた古今亭志ん生でさえ高座でネタを忘れたこともあったのですから、まぁ志ん生忘大に騒ぐもんじゃないと思います、と、、おあとが宜しいようで。つづく

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信頼の指導47年 慶応幼稚舎・早実・慶応横浜初等部・小学校受験・中学受験・中等部受験に勝つ!

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