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理事長通信

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前回よりつづき③2024年9月25日

 前回よりつづき③
 私は身体というものは魂の容れ物に過ぎないという思いがあります。見た目が整っているとかバランスが良いとか、あくまで肉体そのものに対する愛は、むしろ健康面に注ぎたい気持ちがあります。これはボディビルなど肉体を造り上げることに情熱を注ぐ人を否定することではありません。しかし、一部のボディビルダーが、過剰なプロテインの摂取や過度なダイエットや、その他見た目の健康美と真逆の手法で、早くから命を落とす人が少なくないことには反意を表する者です。
 慶應医学部や防衛医大にも合格したのに入学せず、東大理Ⅱを中退し、究極の肉体改造にすべてを懸けたマッスル北村は、極度の低血糖と限界を超えたトレーニングで早世しています(餓死とも言われています)。アーチトップギターの創作者たちを経済的に庇護し、ジャズギターに新たな息吹を吹き込んだスコット・チナリーは、ボディビル用のプロテインの開発と販売で財を成した人ですが、自ら過剰なプロテイン摂取とパンパンに膨らませた肉体の果てに心不全で42歳の命を終えています。

 実用面としての肉体は、海外(に限りませんが)で、不意に暴漢に襲われることのない程度の肉体を有するに越したことはない、と経験から強く思いますが。しかし私の知人におります極真の二段を有する人物は、中背で細身の優男です。見た目からして彼が周囲を威圧する肉体を有するわけではまったくありません。しかし彼の目に武道の魂が入った瞬間には、近寄る暴漢を「気」でなぎ倒す目力がありました。修練の賜物です。

 アスリートが競技の技を極めるために結果として出来上がった肉体が、金メダル獲得という目標の果てに、鍛え上げた肉体を得られたと思えるのに、パンパンに膨らませるボディビルダーの肉体が、行き場をなくした自己愛に私には感じられるのは、やはり明確な到達点を見出しにくいからでしょうか。
 確かにミスターオリンピアのような世界に冠する国際大会で優勝するような到達点もあるでしょうけれど。
 今にして思うと、私が彼らにカメラを向けなかったことの解答らしきことに辿り着きます。私が依存するものの正体を探すうちに、彼らの自己愛に興味を持ったのでしょう。どうしてそれほど自分を愛せるのか、愛したいのか?
 心の内面の問題ですから写真には写りません。ポージング中の彼らの陶酔した表情は外に向けたもので、心の内部にある自己愛そのものではありません。だから私はカメラを向けても写真には写らない、とぼんやり直観していたのだと思います。
 私が得た学びは、人は自分の価値観しか愛せない、という結論でした。他人の価値観を愛することは難しいことです。ただし理解することは可能です。
 その理解とは、「私はマグロが好きでサバは好きではない」という人は「サバが好きな人は、自分がマグロを好きなのと同様の想いでサバが好きなのだ。その思いは同じだ」と理解しないとダメなんですね。理解したつもりでも、心の中で、「でもサバって美味しくないじゃない。サバが好きな人ってどういうこと?」という思いを捨てていないからダメなんですね。それはサバの味を否定したのではなく、サバが好きな人の人格を否定しているからなんです。

 これは議論で対決した人の人間性を否定することと似ています。議論する思考はその人のものです。でもその思考はその人の一部であって、人間そのものではない、ということですね。一般的に日本人は人へのリスペクトに過敏ですので、多くの日本人は反対意見を言う人に非寛容です。この点は意見と人格を分けて考えるように意識した方がいいですね。自戒を込めて。おわり

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