前回よりつづき2024年10月23日
前回よりつづき
「善」なる行動様式とは、窮屈で堅苦しい、というふうにお感じなりますか? 違うんですよ。「善」なる行動様式とは、ひとたび身につくとそれは「洗練」になります。
「あの方、身のこなし方が素敵」とか「品が良い」とか「お育ちが違う」とか「言葉や態度に気遣いがある」とか、非認知領域の偏差値(笑)が上がるんです。要するに周りの人に放つ好感度が違ってくるんです。近くにそのファミリーがいると場が和んだり、雰囲気が良くなったり、交歓することが楽しくなる家庭になります。なにしろ親も子も周囲が不快になる言動がなく、存在そのものが感じ良いですからね。
そういう家庭が本番の入試会場に行くのですから、試験官の目にも真っ先に止まりますし、面接で父母が学校に伝える内容も理にかなっていてしかも控えめでありながら力があり、そりゃー学校だって「このファミリーを是非わが校でお迎えしたい」となるわけです。はい、合格! すごくシンプルではないですか? これは私が私立の小学校・幼稚園で5年間入試委員を勤めさせていただいたおかげで解明し、獲得できたことです。
しつけとは何か? 私は簡潔に、「人が不快に感じることをさせないこと」や「公共の場で、また家庭内でも、自分を抑制し、自らが善と規定する行動ができるようにすること」と定義します。それを親がわが子に説諭することがしつけです。
いやー、大人にとっても完全に自分の言動を制御するなんて、途方もなく難しいことですからね。どの口がそれを言うか、と吾日に吾が身を三省して、身もだえするほど恥ずかしいです。私は折衷案を提案します。「自分はこのように善を定義している。しかしそれを常に自分に課して実行することは果てしなく難しい。時として、往々にして失敗する。もし自分で善の行動規範を逸脱してしまったなら、他の善行を尽くして逸脱分を穴埋めする」ということです。失敗したらリカバーすることですね。どこかで自分を許してやらないと病んでしまいますから。
「完全な親はいない」と、なるべく早く達観した方がいいと思います。子育てって本当に難しいです。なぜ難しいか? 子育てのスタンダードを父母が知らないからです。初めて子どもを持った親ならなおさらです。
社会性を教えることの次に、わが子の子育て重要テーマの一つに、進学があると思います。親ならば誰しも、わが子が高い学力を発揮することを望むと思います。少なくとも学校生活で、教科が理解できなくて苦しむ姿を見るのはつらいことです。友人関係に齟齬を生じて苦しむ姿をみることもつらいことですが。
勉強面でわが子が挫折しかけているとしたら、親としてどのように援助の手を差し伸べるか、これも答えが一つではないのですね。
幼児のペーパー知育でさえ、親がわが子に分かりやすく教えることはむずかしいことです。ましてわが子が小学高学年、中学生にもなれば、親が主要教科を教える限界が見えます。親の援助はむしろわが子のメンタル面に注ぐことが効果的でしょうね。詳しくは拙著7作目「9つの超基本」で扱っています。