外国人に宗教は何を信じているか?という質問を受けた時に、2024年11月20日
外国人に宗教は何を信じているか?という質問を受けた時に、多くの日本人は無宗教と答えることが多いようです。果たしてそうでしょうか? 極めて懐疑的です。というのも私は、日本人ほど無意識でありながら信心深い民族はそうはいないと考えているからです。
私の個人的な説を申せば、日本人は神道を中心とした多神教信者が多いと思います。しかも当人は無自覚です。なぜそう申すかと言えば、そうでなければ初詣に神社に参拝したその足でお寺に出かけてお参りすることに、なんの疑問も生ずることなく心穏やかに過ごせるわけがないからです。
しかも唯一の神を信じているわけではなく、生き物にも物にも、山にも太陽にも、路傍の石ころにすら魂が宿ると信じて手を合わせることが、多くの日本人にとって自発的な行動になっています。
食事の時に、普通の日本人家庭に育った日本人であるならば、つまり親に常識的かつ日本人的感覚があれば、その家に育つ子は食事の時に「いただきます」と手を合わせて声にし、食事を終えると「ごちそうさまでした」とまた手を合わせて声にします。食材に対しても(ビーガン信者さんご注目)料理を作ってくださった人にも、それこそ茶碗を焼いてくださった職人さんにも、また材料となった土にまで感謝を込めて日本人は特に疑問を抱くわけでもなく感謝の言葉を捧げます。日本人がそこいらじゅうにいらっしゃる神さまに誠を捧げている、これが事実です。
日本人は八百万の神を信じる人が多い、それも無意識に、というのが日本人は実は信心深いという私の説です。八百万の神には仏様まで含まれてしまうような、実に実に宗教的対立とは無縁な日本人の宗教観があるように思います。聖徳太子が神仏習合を唱えて以来、日本人は政治的背景から侵入しようとする宗教以外には寛容です(そうとも言えないことが近年起きていますが)。
ということを前提にして、今回の兵庫県知事選をめぐるさまざまな推察です。実像なのか虚像なのか、真相に迫ることが容易ではない状況下で、非常に劣勢であった前知事が知事に再選されたのは、一言で締めくくるとSNSを行き来した民意が反映された事が一端になると思います。
前段には知事に対するさまざまな議会の反対や県庁舎内での不協和音がありました。そこに非常に恣意的なマスコミの報道が加担し、あるはずの真実を隠蔽し、投票日までの50日間、圧倒的にデマを流し続けたマスコミと、陰謀論を含め真実を追求した民意という対立軸が描かれました。
劇場型選挙でしたね。民意の勝利、といった結果に快哉を叫ぶ選挙区の県民ばかりでなく全国的な潮流が発生したかもしれません。
私は真実がひとつであっても、光の当て方で反対側が影になることを知っています。見極めは慎重であるべきだと、どちらかというと走りがちな自分を抑えて冷静に観察し見極めようということも考えます。
SNSは個人から発信された情報も多く含まれ、その真偽について記名した発信者以外は内容に責任も持たないということが普通ですから、受信者は大いに自らの頭を使って真偽の判断をする必要があります。
今回の兵庫県知事選挙はたまたま、当初から意図したわけではなく、圧倒的強者であったマスコミが流す恣意的情報に対し、真実を求めた市井の人々が勝利した格好になっています。確かに歴史的快挙です。ただし、今回はという但し書きの下、事実と真実を明らかにして、その上で結論に達するプロセスこそ大切に扱わなければならないと思います。民意のブームだけじゃダメです。つづく