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理事長通信

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第二次世界大戦は大きく分けると2024年12月4日

 第二次世界大戦は大きく分けると前半と後半に分けられると思います。なぜ戦前の日本が大陸に進出したのか、一言で言うと共産主義の南下を防ぐためと、日露戦争を経て急速に国際社会の中で国力を増した日本を警戒した西欧諸国(当時アジアのほぼすべての国が植民地化されていた)が日本に資源の輸出を大きく制限したため、日本が資源を獲得する目的で進出した、という二点です。
 諸説あるのは承知しますが、結果として戦前は植民地であったすべてのアジア国家は独立を果たし、西欧諸国の植民地から解放されています。

 これに関しては、戦後しばらく日本を統治した占領国司令官ダグラス・マッカーサーが退役後にアメリカ大統領に立候補した際!(ご存じでした?)、日本が大陸へ進出した理由は侵略目的ではなく、主として上記二点の理由による自衛のためであった、といった主張をし、その結果大統領予備選挙に敗退したという事実があります。
 連合国総司令官であり占領統治の長というマッカーサーの視点から、当時の「時代の真実」を、アメリカ大統領予備選という公の場で発言したのですが、それはアメリカの政治的正当性を損なうことに直結するので、危機を感じたアメリカの皆の衆により、彼は指名から外れたという憂き目を見たわけです。
 後にマッカーサーが亡くなった時、彼と常に対峙しながら戦後日本を国際社会に復帰させた吉田茂元首相は、それぞれの母国に忠誠を誓い尽力した盟友のため、晩年の病を押して渡米し、葬儀に参列し花を手向け、誠を尽くし見送っています。

 さて、太平洋戦争開戦に至る過程は、5.15事件や2.26事件が本格的な軍国主義の流れを牽引したかのように国定教科書には記述され、我われは信じ込まされていますが、よくよく資料を紐解いていくと、大きな原因は軍部主導でもないように思うのです。つまり民意です。
 サンフランシスコに移民した日本人が住居をアメリカに接収されたり強制的に移住させられたり、財産を剥奪されたり、その他多くの反日政策がアメリカにより実施されたことは多くの資料が証明しています。
 それらの言わば日本人迫害と呼べる事実を報道に怒りを覚えた日本国民の民意をさらに新聞が煽り、当初は対米開戦に消極的であった軍部が民意を無視できなくなった、という流れも確かにあったようです。
 つまり民意とは大きな危険もはらんでいるということです。特に空気として蔓延した時に、同じ空気を吸いながら一個人が声を上げづらいという日本人に固有の特性を意識しておかないといけないわけです。

 ついでと申しては何ですが、政治家を志すつもりなど毛頭ない私ですが、日本を愛する日本国民として表明しておきたいことがあります。
 日本を愛し、日本人としてのアイデンティティを肯定する人が日本人である、とこの際定義したいと思います。今さら国籍がどうのこうのという話よりも前に、日本に住み、反日本的な思想をもつ人が日本国から庇護を受けようとするのは矛盾があると思います。
 代々日本に生まれ育った日本人であっても、反日的言動を繰り返す人が日本をより良い国にするために運動を行っているようには到底思えないことが多いと感じています。
 日本を愛してやまないこと。定められた国旗を掲揚し国歌を斉唱することに疑義を持たないこと。日本の国益を守り、同時に世界と平和的共存を言動において実行すること、これらが最低限の日本国民の定義だと私は個人的に信じています。もちろん体制に与され、個人の尊厳や思想を放棄することを強要するものではありません。以上

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