今週、私は唐突に着想しました。2024年12月11日
今週、私は唐突に着想しました。何がきっかけになったのかすらおぼつかないのですが、私の脳裏に、まさに天から降ってきた光景が映像を結び、それらの断片が徐々に文章化されつつあります。
書きますよ私。拙著8作目です。タイトルがフレーズになりました。
慶應幼稚舎
早実初等部
筑波小学校に合格する
まっすぐな子育て です。
まっすぐな子育て、これはいつも私が申しております、「輝くわが子」に育てることですね。内容に関してはヒントを下さるお母さまがいらっしゃいました。某超人気校に在学中の、高学年と低学年にお子さんを通わせる方です。その方が憤激して私にお伝えくださいました。
「ケンジ先生、私最近学校で、それはあり得ないんじゃないのって義憤に思うところがあるんです」というお話です。続けると、「上の子の高学年と下の子の低学年では、母親の子育てのクオリティに差がありすぎるんです。一言で言うと、慶応会でなら当たり前に習うようなしつけがなってない。おまけに自分の子どものせいなのに、他の子や先生や学校に責任を転嫁して文句を言うモンスターペアレントが増えていて、先生たちが対応に苦慮されているのが伝わってくるんです」ということです。そして、「今からでも慶応会の小学部に一年でいいから通って、ケンジ先生に優しく厳しくわが子のしつけを教えてもらいなさいって、本当に思うんですよね」と。
いやいや小学校受験でこそ、その時期までの子どもに必要なしつけを教えてあげる意味があるのですが。またそれを教えられる親になることに意味があるのですが。すでに手遅れかも。というよりも親に学ぶ気がなさそうに思います。今までそこに着目して子育てをしてこなかったということは、親自身がその親から学ばせてもらう機会がなかったから、かもしれません(親御さんの名誉のために付記すると、ちゃんとしつけて育てたのに、わが子は親になったら忘れちゃったのかも)。
今現在、特に小学3年、2年の児童に顕著な傾向があるようです。児童に、というよりもその親に顕著な傾向があると言った方が適切かもしれません。幼児は親の子育ての未熟さに不平を申し立てることはできませんから、こりゃ親に全面的な責任がありそうですね。
つまり、コロナ禍のもとでの子育てです。保育園、幼稚園に通い始める時期がコロナ禍に重なり、幼児が他の幼児たちと交わり、十分に社会的一歩を踏み出すための経験が乏しかったことがあります。
それと同時に重要なのは、親が保育者や先生たちに適切なアドバイスを受ける機会が少なかった(子育てで注意されたり叱られたりすることを含め)ことがあります。時に孤立することもあった状況下で幼児を育てざるを得なかった親御さんにも同情すべき点はありますが、それならば尚更、謙虚にアドバイスには傾聴することが今からでも必要ではないでしょうか。つづく