今から4万年ほど前まで2025年1月29日
今から4万年ほど前まで進化を続けてきたネアンデルタール人は地球上で絶滅し、同時代を生きたホモサピエンスはその後も進化を果たし、現代人として今なおその種を次世代に引き継がんとしています。
絶滅と種の存続を分けたのは生存能力の進化によるものです。逆説的に言うと進化に耐えられる変化に対応できたからこそ生き残れたということです。
旧弊を駆逐し老害を一掃する社会改革は必要な変化です。時代は刻々と変化します。理想的な変化は、古き時代の情緒として良かったものは残す、という選択でしょう。
人がいくら現状を望もうとも、外的変化は否応なしに起きます。それは自然現象の変化でもあり、社会情勢の変化でもあり、世論の変化でもあり、なんでもかんでも変化すればそれは進化と言わざるを得ない状況です。
「昔はよかった」というノスタルジー的な望郷は誰もがつぶやく一人語りです。そこにしがみつきたい人も、「そんなこと言ったってしょーがないんだ」と頭の中身を入れ替えて前進する以外に方法がないのです。望むと望まざるとにかかわらず。本心であろうとなかろうと。
変化や進化を厭う人の本心であればなおさら本心を隠して生きていかなければなりません。「王様の耳はロバの耳」という童話の出典はいつのものでしょう。それは王政による圧政と弾圧への批判だったのでしょうか? 現代には、別の意味で完全に当てはまる話ではありませんか!
とにかく時代の変化に対応することができなければ生き延びることができません。恐竜が絶滅したように。
恐竜の絶滅のメカニズムを端的に説明すると、地球寒冷化により恒温動物でなかった爬虫類の恐竜は体温調節が機能せず、また自然環境の変化から食料が不足したことにより絶滅したと説明されています。しかしその理由が発生してから絶滅に至るまでには10年や100年という短いスパンで起きたわけではありませんから。
しかし今、恐竜が与えられていた時間的猶予はまったく現代では猶予されることはありません。昔のパラダイムのままの言動を発信していると、一発の配慮欠如により社会的に抹殺されてしまいます。
もちろん時代の変化が望ましい方向へのものであるならば積極的に迎え入れるべきです。しかしながら言葉狩りに代表されるような表現にかかわることや、だれに対して配慮すべきことかが不明なままの自粛など、さまざまなことがものすごく狭量な時代となっています。じつに世知辛いことが社会のあちこちで起きています。人間間の摩擦を生じさせないための社会警察が配備されたかのようです。
正直、日本人の道徳やメンタリティやプリンシプルの原点を表現する「サザエさん」でさえ、原本の漫画を紐解くと(私、単行本は全巻所有しています。祖母の家にあった初版本を含めて3セットぐらい持っています。私の風刺やギャグやブラックユーモアのアイディアの源泉は「落語」と「サザエさん」と「意地悪ばあさん」です)、今のコンプライアンスに照らし合わせたら一発退場の表現が山ほど出てきます。
この通信だって、なにか筆が滑ろうものなら袋叩きの可能性もあります。断筆しようかな。いやいや私の紡ぐ拙文が、社会的役割を果たす機能があるか? なんてことを考えるだけでも僭越でした。