武道館に行ってきました。2025年4月16日
武道館に行ってきました。エリック・クラプトン日本公演初日です。大先生も3月で80歳になられました。1時間45分休みなしに歌い上げ、Old Loveではギターとオーディエンスを泣かせるソロを弾きまくりました。
年月ばかりが流れた自らのここ30年を省みて、それでも前進しなければならないなと強く思いました。
私も80歳になっても、頭を冴えさえて願書をバリバリと書き上げなくちゃな、と思いました。300校を超えるすべての願書を書き上げた爽快感は、クラプトンがアンコールを終えて、バンドメンバーと肩を組んで並び、日本流にお辞儀をする時のやり切った感と似ているかもな、と勝手に解釈しております。
死生観という言葉をよく耳にします。たぶんコロナ禍で非日常を経験したことにより、なにかしら心に去来するものが増えたせいだと思います。心と体が無になると、次に来るものは何なのだろうか、と不安になるのでしょうか。
私は幼少期より生の対極にある死に思いをめぐらすことが多かったように思います。やがて死んでしまったらどうなるのだろうか、という不安にさいなまれて夜も眠れないことがあったにもかかわらず、私は基本的にお気楽に出来ているのでしょうか、納得できる帰結を見出しております。
私はこう感じています。人は死ぬと魂が肉体を離れ、魂は天上に登っていきます。地上に脱ぎ捨てた肉体は、焼かれて灰になります。その時の魂はふわふわとした人魂のような形をしています。
やがて雲のかたまりをかき分けてさらに天上へと進むと、雲の上には穏やかな表情の神さまが待っています。神さまの前には、肉体を脱ぎ捨てた魂が集い、列をなして並んでいます。
神さまはひとつひとつの魂に、脇に控えた助手から手渡された、ぐにゃりと垂れたかたまりを手渡します。見るとそれは新しい肉体のようです。
「ほい。これがお前さんの新しい体だよ。今生はこれに身を包んで生きるんだ。最善を尽くしてがんばるといいよ」という声が聞こえます。
耳を傾けると、神さまがひとつひとつの魂にかける言葉は少しずつ違っているようです。
魂の方は、何をしゃべるでもなく、ただ黙って肉体を受け取り、新たな顔と体を身にまとって、ゆっくりと地上の世界へ降り立っていきます。ああ、これが与えられた新しい生命なのですね。
そこには不平も不満もありません。ただ、神さまから受け取った外見に魂を包んで、今生の命が始まった、ということのようです。
そんなふうに私は自分がこの世から形がなくなって以後のことを考えています。魂は新たな肉体を神さまから受け取って再生する、と信じています。
今生でもしも徳を積むような人生を送れたら、生まれ変わった来世は、さらに幸運に恵まれた人生を歩めるのでは、と感じます。つづく